まいごのストレスフリーライフ

迷いながらも人生楽しい方向に舵を切ったミレニアル世代のストレスフリー追求記

強いからこそ弱い者への想像を働かせることが大事

私は、誰かが別の誰かに向ける「自己責任」という言葉が嫌いです。
「自己責任」という言葉そのものは寧ろ好きな方なんですけど。

最近Twitterで高プロ反対の弁護士さんに対してネチネチ絡んでいる人を見かけたのですが、
その人がZOZOTOWNの運営会社のコミュニケーションデザイン室長という肩書を持ちながら、
こともあろうに「過労死は自己責任」的な言論を、しかも極めて雑にまき散らしているのを目にしてしまい、
気分も悪いわ周辺への悪影響もハンパないんだろうなともやもや考えてしまったのです。

自由には責任が伴う

私は中学校の時に、謎の校則や謎の上下関係、部活での時間的拘束など、
これなんの意味があるの?
というものに溢れた生活を経験し、それはそれは楽しくない毎日を送っていました。

その反動か、高校は自由な学校を選びました。
禁止事項はバイク通学くらいで、モットーは「自主・自律・自由」だったと思う。

髪をピンクに染めようが、
部活ジャージで授業受けようが、
ブランド物で身を固めようが、

自由です。

でも、自由には責任が伴う、ということは事あるごとに先生から言われてきました。
「自由には責任が伴う」というと、自由奔放な振る舞いをしたことの代償としての責任、のような感じがしてしまうので
別の言葉で言い換えると、
「自分の行動に責任が持てるからこそ、自由を享受できる」
という方がより忠実かと思います。

髪を何色に染めようが自由だけど、
ツンツン髪立てたら後ろの人の邪魔になったりすることもあるよね。
学校の外では偏見にさらされるかもしれないから自分の中身はしっかり持っていないとね。
そういう想像をめぐらせてから行動しようね。
例えばそういうこと。

強者の自己責任論ほど空虚なものはない

おかげで私はその後の人生においても、
謎のルールや習慣、
「なんかこれおかしいよね?」
と思うことについては、だぶん普通の人よりギャーギャー騒いできたと思います。

「どうしてこんなことやらなきゃいけないんですか?」
「私はそれちょっとおかしいと思いますよ」
「前からそうだった、というのは理由になりませんよね?」

こんな感じなので、入った会社も
「もうこの人達とは話が通じないな」
と見切ったら最後、その場を離れるという決断をしてきました。

こんな自分は、ある価値観を持つ人から見れば「弱者」なのかもしれないけれど、
私自身は、自由に生きる方向へ行動している、という点で自分は「強者」なのかも、とも思っています。
(強者と弱者に二分すること自体、あまり大きな意味はないけれど)

たぶん、組織や個人に精神的・肉体的に追い詰められたり、
それを苦に自分の人生を終わらせる選択をしたり、
ということはこれからの人生においてもないと思う。

そこは結構自信ある。

今まで「逃げるべきものから逃げた」という実績があるし。
「こんなとこで我慢するなんてちゃんちゃらおかしいぜ!」って吐き捨てて逃げる勇気もあるし。


でも、それができるのとできないのとの差は、本当に紙一重なのだとも思います。

紙一重の差

最初に入った会社で、
私なんかより全然打たれ強そうな、ストレス耐性も強そうな先輩が自死を選んでしまいました。

先輩は仕事もできて人間的にもしっかりしている人しか選ばれない、新人研修でのメンター社員にも選ばれるなど、
会社でも期待される存在であったのですが、

所属部署での上司やユーザーからのパワハラ(やった本人たちはそんなつもりはサラサラないみたいだが)や、
恒常化してしまった長時間労働に精神的にも肉体的にも追い込まれ、
ある時帰らぬ人となってしまったのです。

その訃報を聞いたとき私は、
ガンのような病気を抱えてたのか?
とか、
突然の病気で亡くなってしまったのか?
とか、
そういう想像しかしていなかった。
まさかその先輩が自ら命を絶つなんて思いもしなかったから。

会社はイントラネットで訃報を流すだけ。

こういうことって、「過労死」や「パワハラ」と認定されること自体、すごく難しいことなんだろうな、ともその時思った。
この先輩の事例は、たぶん現時点でも会社にとって、「個人の問題」としか認識されていないと思う。

こんな経験しなくたって、私たちは「想像力」という力があります。

自分が先輩の立場でその部署に配属されていたら、どうなっていたんだろうか?
私がその部署に配属され、同じ状況に立たされていたら、本当に逃げられるだろうか?

そんなことを考えたら、とてもじゃないけど他人に向かって「自己責任だよ」なんて口が裂けても言えないし、言いたくもない。

どれだけ自分と違う人に思いを馳せられるか?

高プロと呼ばれているものが「ホワイトカラーエグゼンプション」という名前で世の中に提起され始めた頃は、
概ね「いいんじゃない?」と思っていました。
高度専門職として働く人たちに対して、時間ではなく成果で評価する、という仕組みだと理解していたのと、
残業代目当てにダラダラ残っている人が自分の周りにも何人か見受けられていた、というのが大きな理由です。

「なんで私は仕事早く片付けてるのに、ダラダラ時間かけてる人の方が給料多いわけ??(怒)」
という想いを持っていたからです。

でも、法案の骨格や最近の国会審議を見ていると、
全然違う方向に進んでいるように見えます。

「定額働かせ放題」と名付けて揶揄する人もいますが、
まさにそのネーミングの通り、
しかも高度でも専門職でもないような大多数の人々に、それが適用されそうな勢いです。

今自分は会社という組織を離れているので、
雇用者から給料をもらう、というような働き方からは離れています。

私は、
「嫌なら、辛いなら、そこから逃げればいいじゃん!」
と思っているので、
これからもし会社で働くことになっても、
危ない環境からはすぐに逃げることができると思います。

でも、だからと言って
「逃げればいいのに逃げられないのは自己責任(何が起こっても自分が悪いと思え)」
とは全く思えません。

逃げたいけれど逃げられない理由なんて、たくさんありますよね。

さいごに

まったく話がまとまっていないけれど、あまりにムカムカしてしまったので、思ったことをそのまま書いてみました。

件の某会社のコミュニケーションデザイン室長は、その後も自分の発言を間違いとも思っていないようですが、
炎上商法なのでしょうかね。

そもそも他人に対して持論を投げかけ説明を要求するような絡み方をすること自体、他人の時間を遠慮なく浪費していて無礼極まりないのですが、
労働法が専門の弁護士の先生に対して、労働問題でケンカを売ることや、論理破綻した文章を送り付けることの無礼さを自覚してほしいものです。